ここ鵠沼海岸は観光スポットのイメージがありますが、実は非常に歴史のある街なんです。
その数々の歴史から「鵠沼海岸が発祥の地」と言われていることがいくつかあります。
今回は鵠沼海岸の歴史を解説しながら鵠沼海岸発祥の地のものを紹介していきます。
藤沢市の特徴
ちなみに私は引越してくるまでは鵠沼海岸という名前すら聞いたことがありませんでした。
調べたら海のイメージがあったから割と新しい街かと思ってました
鵠沼海岸は神奈川県藤沢市の南側の海に面した海水浴場が有名な街です。
藤沢市は都内へのアクセスもしやすいため海やベッドタウンの印象が強くありますが、エリアによって特徴が異なります。
実際は海以外にも山や畑のエリアもあります。
藤沢市の北側は今で言う長後駅、六会日大前駅、綾瀬に近いエリアはかなり昔から農業が盛んなエリアです。
そして現在も世代が若くなってるものの、農業は今もなお盛んなエリアです。
中部は今の藤沢駅辺りを指していて、昔も商業エリアでした。
それは旧東海道の要所であり人通りが多く、商業の中心となっていました。
現在でも藤沢駅付近は街としても栄えていたり、都内へのアクセスも便利な街です。
そして南部は鵠沼海岸や江ノ島辺りを指していて、沿岸地域は砂の多い砂丘エリアであったため漁業も農業も中途半端なエリアでした。
しかし鵠沼海岸など南部は中途半端なエリアに転機が訪れます!
明治前半に日本で結核が流行し、療養には海水浴が望ましいとドイツの医師が提言したことで今の鎌倉や大磯などに海水浴場ができたと共に皇族や政治家、事業家の別荘がたくさん建てられました。
日本初の別荘地
鵠沼海岸は日本で初めての別荘地となりました。
厳密なエリアとしては鵠沼海岸にある「鵠沼」を指しています。
ご存知でしたか?鵠沼海岸=海水浴場のイメージはあっても、別荘地というイメージは全くありませんでした。
海水浴場が開設された頃に天皇家の御用邸の候補地として鵠沼海岸(鵠沼)が挙げられました。
ですが最終的には御用邸は神奈川県の葉山に決定しました。
結核など流行すると住まいに戻れないため、別荘地に長期滞在する人たちが増えました。
そんな別荘地に住んだ子どもたちの教育のために学校が建てられました。
志賀直哉らがここ「旅館東屋」で白樺派を結成した場所と言われています。
そして時代は流れて昭和になると芥川龍之介など数々の文豪が集まってきていたようです。
当時から鵠沼海岸辺りは海水浴場としての人気が高く、夏は特に人で賑わっていたそうです。
そのため各旅館の宿泊費用も夏は高かったが、夏のピークシーズンを過ぎると閑散期となり宿泊料金も下がったそうです。
当時の文豪たちは生活費を抑えるために閑散期にここ鵠沼海岸に訪れて執筆をしていたそうです。
そしてこの旅館東屋は震災などで崩れたり修復されたものの現在はもう取り壊されてありません。しかし今でも鵠沼海岸の街には跡地を示す石が置いてあります。
こうして日本初の別荘地として注目を浴びたり文豪たちの集まる街として賑わっていましたが、少しずつ人々の住む街として定住化が進んでいきました。
そして現在では海水浴場のイメージはそのままに、別荘地のイメージは払拭され住宅街となりました。
サーフィンの発祥地
鵠沼海岸は今でもサーフィンが非常に有名ですが、実はサーフィンの発祥地なんです!
サーフィン人口多いけどまさか発祥地だったとは知らなかった…
関東で有名なサーフィンエリアはここ湘南と千葉などが挙げられますね。
ですが発祥地はここ鵠沼海岸です!!(ビックリ)
昭和の半ば頃、神奈川には米軍基地が2つありました。
厚木基地と横須賀基地です。
その2つの基地から交通の便が良い街として鵠沼海岸にも米軍人たちが遊びにきてマリンスポーツを楽しんでいたそうです。
その時に日本人も真似して板に乗り始めたのが日本人によるサーフィンの始まりと言われています。これが発祥地と呼ばれる所以ですね。
東京オリンピック2020で女子サーフィンに参加して銅メダルを獲得した「都筑有夢路さん」も、ここ鵠沼海岸で育ち小5からサーフィンをしていました。
現在では朝から夕暮れまでサーファーたちで賑わい、鵠沼海岸駅前を上半身裸の人がいたり自転車にサーフボードをかけて海に向かう人たちが非常に多いです。
サーフィン発祥地であり現在もサーフィンに向いた場所として人気を博しています。
日本初のビーチバレー
日本で初めてビーチバレーが開催されたのがここ鵠沼海岸です。
それは昭和62年に「第一回ビーチバレージャパン」という大会が開催されました。
現在では夏になるとビーチバレー用のネットが設置され、誰でも使うことができます。
自分たちで機材を持ってきてネットを張る人たちもいます。
老若男女問わず使っていて、ビーチバレーの他にはビーチテニスをする人もかなり増えてきました。
地引網
地引網の発祥地ではありませんが、鵠沼海岸での地引網の歴史はなんと300年とも言われています!
冒頭でも伝えたように鵠沼海岸を含めた藤沢市南部エリアは漁業と農業を半々に分かれて行うエリアでした。
そのた地引網も昔から行われていました。当時は地域の住民がボランティアで手伝ったり、農家をしてる人の副業として参加していました。
そしてこの地引網…なんと今でもやってるんです!!
今は漁業を目的としてではなく地元の歴史を引き継ぐためにイベントとして行っています。
鵠沼エリアに住んでいて町内会に加入してる人は、年会費の一部はこの地引網のイベント費として計上されています。
毎年1回住民たちが数十人も集まって網を引く姿は、観光地やマリンスポーツを楽しむ街のイメージのある現在の鵠沼海岸では珍しい光景です。
まとめ
私がまずここに引越してきて歴史を知った時は驚きました。
街に跡地の石があったり突然古くて大きな家が出てきたりして、普通の街とは違う雰囲気を感じました。
しかし長い歴史があったりいろいろな特徴を持っているのが鵠沼海岸の魅力でもあります。
そんな鵠沼海岸は老朽化した家を立て壊して新しい家がどんどん立っていってます。
そして若者の移住が増えたことによってまた新しい歴史が刻まれていきます。
その新しい歴史を一緒に作っていけるのも楽しいかもしれませんね。